闘病応援ブログ!10年を振り返る(入院生活編)
こんにちは。タカッチです。
私は10年以上心の病気がありますが、時々10年を振り返ることがあります。
資格をたくさんとりました。
ホームヘルパー2級、フォークリフト、Excel、Word、書道六段、剣道初段、大型自動車二種免許、などです。
仕事も転職を沢山しました。
勤め人を12年、行政の臨時職員、飲食店の店員さん、コンビニバイト、建築業、印刷業、農業、ホームセンターの店員さん、自動車メーカー
自分でも思います。
10年は意外に長いなあと。。
でも大きな成長もありました。
人づきあいや人との距離感を上手に取れるようになりました。
常に初心を忘れない気持ちで新しい仕事に臨んでいます。
新しい事を学ぶ気持ちで溢れています。
10年を振り返りながら、10年前の私はエリートコースから転落するように心の病気なってしまいました。
人の頼みを断り切れずにどんな仕事でも引き受けていました。
完全にオーバーワークです。
成人式にも参加しなければお盆やお正月にも実家に帰ったことがないくらいの仕事人間でした。
仕事が生きがい!
そんな人生でした。
毎日、遅くまで残業、当番も積極的に引き受ける。
交際も彼女一筋。
私はとても真面目な人間のです。
でも振り返ること10年ほど前に、いつのころからか体調を崩すようになり上司に申し出て大事な仕事を休んで精神科へ受診。
メンタルクリニックの精神科医からは心の病気である躁うつ病と診断されてしまいました。
その日から抗うつ薬を飲みながらの生活が始まったのです。
心の病気を治療しながらのお仕事は本当に大変でした。
重要な役職にもついていて責任も大きかったからです。
お薬を飲みながらのお仕事が続き、ある時、医師から1カ月間の自宅での休養を勧められて実家に帰りました。
その時は気分の波があり、朝起きることも大変でした。
1週間は食事もとれない日々が続きました。
2週間目からは、お薬を飲むために食事を取り、服薬。そして休息をとる。
何もない日々に不安を覚えました。
このままで自分の将来はどうなるのだろうか?
言葉にできない不安がありました。
その後復職するも、1年くらいしか働けず、精神病院への入院が決まりました。
その時のショックは言葉では伝えられないくらいの衝撃です。
自分から病気の勉強をして入院を上司に申し出たのですから、当然と言えば当然の結果です。
でも精神病院での生活は1カ月半ほど続きましたが私の人生を変えるほどの大きな出会いと気づきがあったのです。
10年前に精神病院に入院して、まず行ったことは規則正しい生活です。
意外に精神科は普通の病院と同じでした。
病室には綺麗なベットに毎日の食事。
お風呂屋シャワー室があり、いつも清潔にしていました。
病院にはお店もあります。
付き添いの看護師さんと一緒にお買い物。
家計簿をつけながら冷蔵庫にお菓子を入れていたことを今でも覚えています。
そして、週末にやってくるボランティアの人たち。
音楽を演奏してくれたり、歌を歌ってくれたりしてくれて、映画の鑑賞会もありました。
正直、仕事しか知らなかった私には自由に生きている音楽の関係者や医療に人生をかけている病院関係者にいつしか、共感して、自分も憧れるようになりました。
仕事だけが人生ではないという事を始めて考えたのがこのころでした。
新しい発見をありがとうございます。
今では、病気も安定しています。
これも入院の生活のおかげだと関係者様に感謝の気持ちを伝えたい気持ちです。
入院中は、朝起きたらラジオ体操、簡単な掃除、そして、外での軽い運動などがありました。
東京都内では緑がある景色は心が癒されます。
緑あふれる公園で軽いジョギングや運動をしながら、外の空気の新鮮さとゆっくりと流れていく時間に人生で初めての安らぎを感じたのです。
誰かを蹴落とすような仕事、彼女をとられたくないという嫉妬。
全ての感情や考えがとても幼く小さく感じたのが精神病院での生活でした。
最初は嫌だなと思っていましたが看護師さんやお医者さん、そして同じ病気で苦しんでいる人たちとの交流を通じて、人に対して寛容になるという心を学んだような気がします。
病気があっても生きていればよい。
いつしかそんなことを考えるようになりました。
出会いもありました。
入院中は食事をベットの上でなく、元気な人を集めて、リクライニングルームで一緒に食べながら、男女、の差や年齢に関係なく多くの事を語り合いました。
外出許可が出ている人たちにお願いしてボードゲームを用意してもらって人生ゲームをしました。
順風満帆な人生でなく波乱万丈なゲームを楽しみながら自分の人生も順風満帆なものだけではない。
時には苦しい時もある。
そして人生ゲームと同じゴールがあると思っていました。
半月もすると病状も回復して自力で日常生活も送れるようになりました。
薬の影響か本を読むとひどく疲れていましたが看護師さんに相談して今は無理をしないようにという事で、勉強は控えることにしました。
仕事のことも心配でしたが、いざと言うときの為に用意していた申し送りのレポートと資料が思いのほか役立っていて職場からは心配はいらないからと温かい言葉を頂きました。
自分に万一のことがあれば職場の同僚にも迷惑がかかります。
申し送りの用意はどんな仕事でも必要ですね。
当時は病院の決まりで入院中は携帯電話は病院に預けていました。
治療に専念するためにということです。
そんな職場の人たちですが、時々お見舞いにも来てくれました。
定期的な業務の連絡が主な話題でしたが、気遣ってくれる言葉があり、とても嬉しかったです。
あの時の御恩は一生忘れないです。
当時の関係者の皆さまにお伝えしたい気持ちです。
そんな入院生活も終わりの日が来ます。
退院の日です。
両親に迎えに来てもらい東京から田舎の実家に帰ることになりました。
経過が順調だからという事だったと覚えています。
両親の実家の近くの病院で通院しながらの治療に専念することが会議で決まったそうです。
詳しい事は聞いていないのですが、結果的には良い判断でした。
退院の日、入院中にお世話になった人達にお礼とお別れの挨拶をして、使っていた洗濯洗剤などの日用品は荷物になるのでとなりの人にプレゼントしました。
かさばるものではありませんからね。
沢山の人たちとの別れを惜しみながら実家での新しい生活が始まるのでした。
10年を振り返る(入院生活編)
は以上です。
同じ心の病気の人には分かってもらえると思います。
入院生活は決して悪い事ばかりではありませんよ。
周りに勧められたら素直に病院に入院しましょう。
新しい生活に新しい発見があるかもしれません。
健康な人でもいつどうなるのかは誰にもわからない事です。
心の病気の知識があれば自分や家族、そして、同僚などの人生を助けることが出来るのかもしれませんよ。
私のブログは闘病生活の経験や仕事での注意点や新たな気づきも記事にしています。
良かったらこれからもご購読宜しくお願いします。
読者さまの学びと新しい発見があれば今日記事にして良かったです。
次回作をご期待ください。
最後までご覧いただいて、いつもありがとうございます。